初めて、子どもを連れて東京を訪れた。コロナもあり、3年ぶりである。
大半を妻の実家のある三鷹で過ごしたが、少しだけ渋谷とその周りを訪れることができた。SDレビューを行っていることもあり、槇文彦さんの建築をあらためて体感しようということで、久しぶりに代官山を訪れることにした。
建築家の登竜門とも言われる「SDレビュー2022」の展示を見にヒルサイドテラスを訪れた。
ここで説明するまでもないが、ヒルサイドテラスは建築家・槇文彦が、同地の大地主である朝倉家(朝倉不動産)とともに30年の歳月をかけて建て続けた建築群である。この建築が時間をかけて今の代官山のイメージを形成したといってよいだろう。
第1期(1969年)A・B棟
第2期(1973年)C棟
第3期(1977年)D・E棟
第4期(1985年)アネックスA・B棟
第5期(1987年)ヒルサイドプラザ
第6期(1992年)F・G・H棟
第7期(1998年)ヒルサイドウエスト
建物の間に路地のような公共的な空間やパブリックスペースを適宜設け、広場や店舗、住戸を結ぶ回遊性が高く、(槇のいう)「襞」や「奥」といった内外の重層的で豊かな都市空間が実現されている。
建物のボリュームを分けるだけではなく、建物自体のエレメントを文節していることもヒューマンスケールで親しみのある表情を与えている。
建築と外部空間に適宜レベル差を与えていることも、空間に「エッジ」を設け、それが人の居場所の形成に寄与していることが見て取れた。
ただ、このレベル差は、バリアフリーが求められる今日では難しいところもあるだろう。特にB棟のペデストリアンデッキについては(槇さんも触れていた記憶があるが)、街路との繋がりを遮断してしまっており、今になって見ると失敗であるように思う。ヒルサイドテラスを悪く言う人はいないので、あえてこの点は一度指摘しておきたい。
代官山駅やヒルサイドテラスからやや離れた場所にあるヒルサイドウエストも、個人的に好きな建築である。シンプルで端正なファサードのデザインと、南北の道路と高低差をつなぐ道のような通り抜けの空間が特徴的。
ヒルサイドテラスからは離れているが、ヒルサイドテラスの思想を濃密に体現しており、一つの建築を通じて都市に関与するという姿勢とそのデザインを見て取ることができる。
ヒルサイドテラスで行われていたSDレビューは最終日であることもあり賑わっていた。ハードだけでなく、このようなソフトを含めてじっくりと文化を育ててきたことも、ヒルサイドテラスの功績であることに異議はないだろう。
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