槇文彦の建築 ヒルサイドテラスとスパイラル(2)

表参道のスパイラル(槇文彦、1985年)を訪れ、大学院時代の先輩・友人に会った。

久しぶりに上京したので、新しい建築も見てみたいし話題性のあるお店にも行ってみたかったが、槇さんの建築を訪れようと思ったのは、そこに時代を超える普遍的な良さがあるからで、それをあらためて確認したかったからだ。

 

スパイラル

スパイラルは学生の頃から何度となく訪れたが、一番の見せ場は、建物の奥のアトリウムに設けられたスロープ状の「スパイラルホール」にある。建物の奥に現れる、明るく劇場的な空間である。

スパイラルホール

スパイラルホールからカフェや2階のショップが見える

ただ、魅力はドラマティックなスロープにあるだけではない。高さの変化を伴ってデザインされた、細やかなフロアレベルや階高は、ヒルサイドテラスにもみられるように、そこを訪れ滞在する者にそれぞれの「居場所」を与えてゆく。

スパイラルカフェ

1階のカフェは、通路状のギャラリーと1m近いレベル差があり、それによってカフェにはサンクンガーデンのような落ち着きが与えられ、賑わう。一方、隣り合うギャラリーはカフェからレベルを上げることで、劇場のステージのような、あるいは花道的な空間の質を持つ。さながら都市のステージである。

ギャラリー

2階へと上がる、大階段で構成されたエスプラナードも公共的な空間である。踊り場に置かれた椅子にはいつも誰かが座って、表参道の街を見下ろしている。これは、私が初めて訪れた頃から変わらない光景だ。この場所について槇は、ニーチェの「孤独は私の故郷である」という言葉をひきながら、都市で孤独になれる場所の重要性を説く。

2階への大階段であるエスプラナー

近年、公共空間の成否はその「にぎわい」の有無、人が集まるかどうか、に関心が向けられ、パブリックスペースには「にぎわい」が求められ過ぎているように感じる。都市に必要な要素は「にぎわい」だけではなく、公共空間が常ににぎわっている必要はない。独りのためのパブリックスペースも必要なのである。

 

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