TAKAOSHIRAISHI DIARY

四国松山で建築設計事務所を主宰している建築士の日記です。設計事務所の経営のことや、旅先で出会った建築・街のについて記しています。

2026年 年頭所感

2026年 年頭所感

BLUE WAX WINERY [2025]

2025年は、複数年にわたり設計・監理を進めてきたプロジェクトが無事に竣工を迎えた一年となりました。
松山市中央商店街・大街道に都市型ワイナリー「BLUE WAX WINERY」が開業し、延べ約1,300㎡の倉庫工場の新築移転工事が完了するなど、これまでの取り組みが具体的な成果として結実しました。これらのプロジェクトでは、用途や規模の異なる建築に対し、新たな発想や技術的課題に向き合いながら設計を行う貴重な機会を得ることができました。

また、開業25周年を迎えた、坊っちゃんスタジアムの外壁および外周デッキの改修工事も昨年夏に完了しました。私たちは地域に根差した設計事務所として、愛媛県下の公共施設の改修設計にも継続的に携わっており、地域の日常を支える建築に対する責任と役割の重要性を認識していますが、こうした地道な設計業務やプロジェクト管理を通じて蓄積される知見やノウハウは、他の多様なプロジェクトにも生かされており、新たな取り組みへの挑戦と、地域に根差した実直な業務とを両輪として進めていくことが重要であると考えています。

代表就任以降、外部の専門家のご支援を得ながら、経営基盤の整備を段階的に進めてきましたが、昨年はその方向性について一定の見通しを得ることができました。本年は新たな人材の受け入れを予定しており、持続的な営業活動および設計体制の確立を進めていきます。

従業員一人ひとりが安心して能力を発揮し、その成果が質の高い建築物の実現につながること、また、設計者としての中長期的なキャリア形成を見据えた働き方が可能となるよう、制度面の整備にも引き続き取り組んでいきたいです。

本年も、地域社会との信頼関係を大切にしながら、建築を通じて地域の持続的な価値の創出に努めてまいります。

イギリス旅行記④ ロンドンの建築(2)ロイズ・オブ・ロンドンほか

これまでの記事

イギリス旅行記① ブライトン・アンド・ホヴ

イギリス旅行記② ロンドンの都市の変遷:セント・ポール大聖堂とエステート

イギリス旅行記③ ロンドンの建築(1)現代に息づく再生建築

 

目次

 

前回の記事では、主にリノベーションやコンバージョンによるロンドンの再生建築について触れたが、今回はそのほかに訪れた建築を記録しておきたい。

 

ロイズ・オブ・ロンドン

ロイズ・オブ・ロンドン

シティ・オブ・ロンドンに建つハイテク建築の金字塔。数多くの解説が存在するので詳細は割愛するが、実際に訪れて印象的だったのは、建物全体にわたるコンセプトの貫徹である。内部を「マスター(サーブド)スペース」、外部の設備やコアを「サーバントスペース」とするだけではなく、その思想がひとつひとつのディテールに至るまで浸透し、綿密に作り込まれている。見た目の派手さに目を奪われがちだが、誠実なデザインをしていると言えようか。

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一緒に訪れた親類のマジェックも興奮気味

それは例えば、都市の文脈への応答にも表れている。階段まわりについても地上レベルでは、視線が街路に抜けるようにパネルを排して開放的にデザインし軽い表現としている*1

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ロイズ・オブ・ロンドン

設計:リチャード・ロジャース
竣工:1986年


ヒースロー空港ターミナル5

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ブリティッシュ・エアウェイズ専用の巨大ターミナル。乗り継ぎ効率など機能性を追求し、膨大なプログラムを一つの大きな屋根の下に集約している。その屋根は弓形で最大156mに及ぶ長大スパンを持ち、空港という複雑な交通結節点において視界を遮る柱をフロアに落とさないようにすることで、自由度の高い空間計画を可能にしている。

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ロジャースらしい表現は、構造材やジョイントを大胆に露出させている点にも見て取れ、ハイテク建築の正統な系譜を感じさせる。以前訪れたマドリードのバラハス空港(→参考記事)とともに、ロジャースのキャリアの集大成ともいえるだろう。

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ヒースロー空港 ターミナル5

設計:リチャード・ロジャース
竣工:2008年


バービカン・エステー

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ロンドンで予想以上に印象に残ったのがバービカン・エステートだ。第二次大戦で廃墟となったエリアを再開発し集合住宅を建設(-1976)。その後、1982年にはコンサートホールや劇場、美術館、図書館などを含むバービカンセンターがオープンし、複合文化拠点として整備された。


「ブルータリズム」のコンクリートの荒々しい表現が特徴的だが、それとは対照的に、広い緑地や池を囲む住棟群、歩車分離を徹底した人工地盤上の歩行者空間、バルコニーに植えられた花々などが、人間的なスケール感と潤いを与えている。

バルコニーに植えられた草花が美しい

そして最も印象的だったのは、建設から約半世紀を経た今もなお「住民に愛され続けている」ように感じられた点だ。イギリスの事情はよく分からないものの、日本では多くの団地や分譲マンションが一度に開発され、老朽化したら住民の高齢化とともに衰退するという道をたどる中で、バービカンはそれを回避しているのではないか。

その背景には、ここまで述べてきたような空間的要因や複合用途による要因だけではなく、政策・制度的な要因があるように思う。比較的裕福な住宅開発として建てられたこと、公的な賃貸住宅として建てられた後にその多くが民間所有となったこと、公による維持管理運営、(ストライキによる建設遅延の結果ではあるものの)1969年から1976年と時間をかけて建てられたこと……などが背景にはありそうだ。建築のガイドも行っているようで、建築が人々に理解されることでファンが増えていることだろう。それによってバービカンの住民にも、自らが住み暮らす場所への愛着や誇りが芽生えるといった循環が起こっているはずだ。

 

ロンドン・ウォール。かつての都市の城壁が残る

このあたりについてはあらためて調べてみる必要があるが、文化施設を核とした都市的複合性、都心にありながら気持ちの良い空間、住民の日常生活が折り重なる「街の形」に触れられたのは貴重な体験であった。

 

バービカン・エステー
設計:チェンバリン、パウエル&ボン
竣工:1976年(バービカン・センター:1982年)

参考文献

Barbican Estate - Wikipedia

椿建也(2017)「イギリス都市計画に関する一考察 ―第二次世界大戦後のロンドン市バービカン地区の再開発をめぐって―」https://www.seijo.ac.jp/education/faeco/academic-journals/jtmo420000001iji-att/218-tsubaki.pdf.pdf

 

 

結びに代えて

ここで紹介した建築に共通点を見出す必要はないかもしれないが、共通して感じたことをあえて挙げるとすれば「人」を中心に置く姿勢とでもいえるだろうか。ロイズやヒースローはスケールの大きさに圧倒されつつも、ディテールを通じて都市や利用者への配慮を示しているように思ったし、バービカンはブルータリズムの表現的な側面だけではなく、緑や水辺、文化活動と政策を重ね合わせた計画を作り上げることで、人の居場所が生まれていた。いずれも「人と建築、人と街の関係」を探り続けた「かたち」の表れを感じることができた。

 

 

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*1:この階段のデザインは、以前ベルリンで訪れたダイムラー・シティでも同様の処理をしていたのを思い出した。

イギリス旅行記③ ロンドンの建築(1)現代に息づく再生建築

これまでの記事

イギリス旅行記① ブライトン・アンド・ホヴ

イギリス旅行記② ロンドンの都市の変遷:セント・ポール大聖堂とエステート

歴史的に多様な建築物が積層するロンドン。ロンドンの街並みを形成する建物の多くは18世紀以降のものだが、新たな建築物を建てる時にも既存の建物や都市空間を尊重し、歴史的な景観と現代的な機能性のバランスを探りながら計画しているように感じられた。

今回取り上げたのはその象徴的な事例だが、最後の王立取引所を除き、いずれも家族で訪れた。小さいこども連れでも十分に楽しめた観光スポットだが、こうした建築物こそ、新旧の融合の重要性を空間体験として伝えているように感じた。

 

目次

  • 大英博物館 グレートコート [2000改修]
  • テート・モダン [2000改修]
  • バタシー発電所 [2022(再開発完了)]
  • 王立取引所 [2001改修]

 


大英博物館 グレートコート [2000改修]

人類の歴史や文化を網羅的にコレクションする大英博物館グレート・コートは、既存の博物館の建物の間にガラス屋根を架け、全天候型の広場と通路の役割を与えている。

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イギリス旅行記② ロンドンの都市の変遷:セント・ポール大聖堂とエステート

前回の記事はこちら。

イギリス旅行記① ブライトン・アンド・ホヴ

 

ロンドン。政治・経済・文化など様々な指標で世界有数の大都市であることは言うまでもないが、私にとっても、多感な時期に音楽・ファッション・建築・アートなど様々な文化を与えてくれた、そうした情報の発信源。そんな都市をようやく訪れることができたのは感慨深いものがあった。

こども二人を連れてのロンドンは大変な場面も多かったが、その分、街の優しさや多様性に触れる機会にも恵まれた。通りすがりの人々が手を貸してくれたり、お店のスタッフが気遣ってくれたりと、子連れでの海外旅行に対する不安を和らげてくれる瞬間がたくさんあった。おかげで、親子共々、思い出深い旅となった。

このようにロンドンについては多様な観点で学びがあり思い出ができたのだが、今回はそのようなロンドンの都市の変遷や特徴について、実際に訪れた感想を交えて整理をしておきたい。

 

目次

  • クリストファー・レンの都市構想とセント・ポール大聖堂
    • ロンドン大火の後に再建された老舗パブ
  • ロンドンの都市構造とエステー
    • ブルームズベリー
    • リージェント・ストリート

 

クリストファー・レンの都市構想とセント・ポール大聖堂

セント・ポール大聖堂

 

ロンドンの都市史を語るうえで、1666年に起こったロンドン大火と、その復興を担った建築家クリストファー・レンは欠かせない。大火によってロンドン発祥の地であるシティの大部分が焼失した後、レンはセント・ポール大聖堂をはじめ数多くの建物を再建し、ロンドンに新しい都市景観の基礎を築いた。

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イギリス旅行記① ブライトン・アンド・ホヴ

Brighton and Hove

昨年の冬の話。子どもを連れて家族でイギリスを訪れたので、今更ではあるがブライトン・アンド・ホヴ、ロンドンを訪れた記録を残しておきたい。 

 

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ロンドン・ヒースロー空港からバスで約2時間。親戚の住むブライトン・アンド・ホヴを家族で訪れた。イギリスの海浜リゾート地として知られる観光都市である。

到着して海岸線を眺めていると、ロンドンからの距離感が東京からのそれと似ていることなども相まって、20代の頃に数年間住んでいた湘南、その海岸を思い出した。

ブライトンの町の歴史は18世紀終わりに摂政皇太子(ジョージ4世)が別荘を借り、離宮を建設したことに始まり、1841年にロンドンから鉄道が敷かれ発展が進んだようだ。

今日のブライトン&ホブには多様な文化や価値観を受け入れる土壌があり「ブライトン・プライド」などLGBT関連のイベントも開催されているそう。ナイトクラブやレジャーなども多く存在している。ミュージシャンも多く住んだそうで、義妹の夫であるマジェックは、一緒に海岸を歩いた際に「この家はデヴィッド・ギルモアが住んでいたよ」など教えてくれた。ブライトン&ホヴはロンドンからも鉄道で1時間程度だし、リチャード・フロリダのいうクリエイティブ・クラスの集まる土壌があるように思う。2日間だけの滞在だったのでそうした側面についてはよく分からなかったが、また訪れたらゆっくり滞在してみたい街だ。夏の様子はまた大きく異なるだろう。

ブライトンの街並み

 

ビーチハット

Hove Beach Huts

ホヴの海岸沿いに並ぶ小屋。個人が所有し、着替えや休憩に使う、簡易的な海辺の個室。Brighton&Hoveの市のウェブサイトを見ると、ペイントのコードや、メンテナンスの義務などがあるようだ。

 

ブライトン・パレス・ピア

ブライトン・パレス・ピア

ビーチから海に突き出した桟橋で、レストランや遊園地の複合施設。1899年開業。海岸沿い(ブライトン・ビーチ)には子どものための施設や公園が点在し、子どもも楽しく散歩できた。

 

ブランズウィックタウン

ブランズウィックタウン

摂政時代、1830年代に海岸沿いに完成したニュータウン。市のウェブサイトを見ると現在も保存地区に指定されている模様。



Meal Deal

スーパーマーケットにて

ホヴではスーパーマーケットを訪れた。ロンドンでもそうだったが、ヴィーガン向けやこども・宗教別など多様な顧客にあわせた商品棚を作っているのが印象的だった。

また、イギリスのスーパーマーケットで見られたのが、ミールディールというセット売り(写真)。メイン料理+スナック+ドリンクをセットにした割引価格で提供する販売形態で、メインはサンドイッチが多く、スナックとドリンクはかなりの種類から選べる形態。これは日本でもあってもいいのでは。

 

ブライトン駅。ロンドン・ブラックフライアーズ駅まで鉄道を利用した。

 

イギリス旅行記②に続く。

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2025年の年頭所感に代えて

この数年、自分たちだけではなく他社など外部との協働が増えてきた。昨年はこの流れが進んだ一年であった。今年2025年はそれをさらに推し進める一年になるように思う。

これは恐らく自分たちの会社だけではない。コロナ禍からの揺り戻しのように、社会的な気分のようなものもあるように感じる。

例えばプライベートの話ではあるが、昨年は学部の頃の研究室のOB・OG会に久しぶりに出席し、恩師や同期の友人、先輩・後輩に本当に久しぶりに会うことができた。
そして、今も愛媛南予である仕事を手伝っているが、それもこの機会をきっかけとした後輩のプロジェクトであったりする。

これはちょっとした話ではあるが(そして私たちが主導するプロジェクトではないが)このような、以前の交流が起点となるようなプロジェクトが少しずつ増えてきた。

私自身も40代半ばに差し掛かり、同世代をはじめとする周りの方々(≒クライアント)の裁量が広がったり、新たなステージを迎えているということもあるかもしれない。さらには、社会の変化や課題への対応という側面もあるだろう。

そもそも建築は一人で生み出すことができないものであることは自明であり、複雑な課題が山積する今日、より良い建築・プロジェクトの実現のためにはプロジェクト単位でも一企業としてもより良いチームをつくる必要がある。

他者と関わるということは、自身の中には無い思想や意見を取り入れることでもある。独りよがりの美学を推し進めるのではなく、悪い意味での妥協でもない。他者との関わりの中で弁証法的にステップアップしたり、新たなものを拓けるのが理想的だ。

 

2025年は設計や監理を進めてきた複数のプロジェクトが竣工予定であり、一つの区切りを迎えるようにも思う。目の前の課題に誠実に向き合いながらも、変わりゆく社会の先行きを見定めて動いていきたい。

広島の変容(2)「まちなか」のサッカースタジアムなど

広島市中心市街地で公共交通広場を軸・核にしながら複数の大型開発が進められていた。急速かつ大胆に都市の集約化を図っているように見受けられた。


ひとつは、原爆ドームのすぐ近くで広島市民球場のあった基町エリア。市民球場の跡地を公園化し、近接して「まちなか」のサッカースタジアムを建設。文化・スポーツ施設が集約され、都市の核としての性格がより強まってゆくように感じられた。

もうひとつはJR広島駅前。広島駅は繁華街とは離れた立地であることからも「駅前」の印象が薄かったのだが*1、2009年に広島カープの新拠点である「MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島」が開業。2012年からのJR駅改良工事を契機に、駅周辺に超高層ビルが建設されて著しい変化を遂げていた。

 

広島サッカースタジアム(エディオンピースウイング広島

左奥にサッカースタジアム。手前は左から、県立総合体育館、中央図書館、ひろしま美術館。

原爆ドームの近くでは、サンフレッチェ広島の拠点となる「まちなか」のサッカースタジアムがオープンしていた。原爆ドームひろしま美術館、広島城と近接し繁華街にも近い。敷地は中心市街地ゆえ狭い区画だが、よく納めたものと思う。収容は28,520席ということなので従来のスタジアム(40,000席)よりコンパクトになったようだ。
元々、建設地には現在の場所ではなく、宇品(広島港)が選ばれていたようだが、サンフレッチェ側が「採算が合わない」として旧市民球場跡地への新スタジアム建設案を提示するなど、オープンまで紆余曲折あった模様。街なかに立地することで、事業継続性を高めるだけでなく、観客としても足を運びやすくなり、周辺の繁華街への波及効果などメリットは大きいだろう。サッカースタジアムが郊外に立地することの課題を目の当たりにしている当地からすると羨ましい限りである。

ただ隣接する基町住宅との間には騒音問題などが考えられるし、新しい東側の公園・施設もまだ整備中である。どのように街に馴染んでゆくのだろうか。スタジアムにも都市施設としての複合的な用途も求められそうだが、そのあたりはまた確認してみたい。

hiroshima-stadiumpark.jp

 

 

ひろしまゲートパーク

ひろしまゲートパーク(設計:大成建設、2023年)の「大屋根ひろば」

奥には改修された「おりづるタワー」(設計:三分一博志、2016年)が見える

サッカースタジアムのすぐ近く、広島市民球場の跡地は"HIROSHIMA GATE PARK"という市民公園に生まれ変わっていた。中央にイベント広場を設け、低層の店舗群と「大屋根ひろば」が囲う。ベンチなども置かれていて、日常的にはまちなかの憩いの場として使われ、イベント時には賑わいの場として利用されることが想起できた。サッカースタジアム利用客の受け皿にもなるだろう。

平和記念公園から続く軸線

なお、平和記念公園から原爆ドームを貫いて伸びる「平和の軸線」はこの公園内を貫き、北側を小さな丘で受け止める形で整備されている(北側の総合体育館も軸線を継承する形で計画されていたことにも今さら気付いた)。
Park-PFIを含む再開発とのことで、20年後には解体されるのだろう。

初代・広島市民球場(2008撮影)。この外形をなぞるように公園も整備されていた。

gate-park.jp

 

 

JR広島駅前再開発

JR広島駅では駅前再開発として駅ビルを建設中だった(~2025年春予定)。広島電鉄路面電車)が現在の地上から駅ビル2階へ乗り入れ、路面電車とJRの乗り換えが便利になる。路面電車のルートも見直し、駅から駅前通りを抜けるルートが新設されるようだ。

広島駅から道路を挟んだ向かい側は2010年代に大きく2つのブロックの再開発が行われていて、ごちゃごちゃとした印象のあった駅前景観がこざっぱりと変容していた。Bブロックは地上52階建・197.5mの超高層による西棟(シティタワー広島)と10階建の東棟による店舗+分譲マンション。キーテナントはビックカメラ。Cブロックは地上46階建の住宅棟と、11階建の商業棟。キーテナントはエディオン蔦屋家電

駅前には広場もできるようで、デザイン監修はSUPPOSE DESIGN OFFICEとのこと。

www.westjr.co.jp

駅の中のお好焼き屋も繁盛していました



*1:同じような構造が松山にもあり、今後の松山を考える参考になった。高知、熊本、鹿児島、長崎なども同様の構造がある。