これまでの記事
イギリス旅行記② ロンドンの都市の変遷:セント・ポール大聖堂とエステート
目次
前回の記事では、主にリノベーションやコンバージョンによるロンドンの再生建築について触れたが、今回はそのほかに訪れた建築を記録しておきたい。
ロイズ・オブ・ロンドン

シティ・オブ・ロンドンに建つハイテク建築の金字塔。数多くの解説が存在するので詳細は割愛するが、実際に訪れて印象的だったのは、建物全体にわたるコンセプトの貫徹である。内部を「マスター(サーブド)スペース」、外部の設備やコアを「サーバントスペース」とするだけではなく、その思想がひとつひとつのディテールに至るまで浸透し、綿密に作り込まれている。見た目の派手さに目を奪われがちだが、誠実なデザインをしていると言えようか。

一緒に訪れた親類のマジェックも興奮気味
それは例えば、都市の文脈への応答にも表れている。階段まわりについても地上レベルでは、視線が街路に抜けるようにパネルを排して開放的にデザインし軽い表現としている*1。

ロイズ・オブ・ロンドン
設計:リチャード・ロジャース
竣工:1986年
ヒースロー空港ターミナル5

ブリティッシュ・エアウェイズ専用の巨大ターミナル。乗り継ぎ効率など機能性を追求し、膨大なプログラムを一つの大きな屋根の下に集約している。その屋根は弓形で最大156mに及ぶ長大スパンを持ち、空港という複雑な交通結節点において視界を遮る柱をフロアに落とさないようにすることで、自由度の高い空間計画を可能にしている。


ロジャースらしい表現は、構造材やジョイントを大胆に露出させている点にも見て取れ、ハイテク建築の正統な系譜を感じさせる。以前訪れたマドリードのバラハス空港(→参考記事)とともに、ロジャースのキャリアの集大成ともいえるだろう。

ヒースロー空港 ターミナル5
設計:リチャード・ロジャース
竣工:2008年
バービカン・エステート


ロンドンで予想以上に印象に残ったのがバービカン・エステートだ。第二次大戦で廃墟となったエリアを再開発し集合住宅を建設(-1976)。その後、1982年にはコンサートホールや劇場、美術館、図書館などを含むバービカンセンターがオープンし、複合文化拠点として整備された。
「ブルータリズム」のコンクリートの荒々しい表現が特徴的だが、それとは対照的に、広い緑地や池を囲む住棟群、歩車分離を徹底した人工地盤上の歩行者空間、バルコニーに植えられた花々などが、人間的なスケール感と潤いを与えている。

そして最も印象的だったのは、建設から約半世紀を経た今もなお「住民に愛され続けている」ように感じられた点だ。イギリスの事情はよく分からないものの、日本では多くの団地や分譲マンションが一度に開発され、老朽化したら住民の高齢化とともに衰退するという道をたどる中で、バービカンはそれを回避しているのではないか。
その背景には、ここまで述べてきたような空間的要因や複合用途による要因だけではなく、政策・制度的な要因があるように思う。比較的裕福な住宅開発として建てられたこと、公的な賃貸住宅として建てられた後にその多くが民間所有となったこと、公による維持管理運営、(ストライキによる建設遅延の結果ではあるものの)1969年から1976年と時間をかけて建てられたこと……などが背景にはありそうだ。建築のガイドも行っているようで、建築が人々に理解されることでファンが増えていることだろう。それによってバービカンの住民にも、自らが住み暮らす場所への愛着や誇りが芽生えるといった循環が起こっているはずだ。

このあたりについてはあらためて調べてみる必要があるが、文化施設を核とした都市的複合性、都心にありながら気持ちの良い空間、住民の日常生活が折り重なる「街の形」に触れられたのは貴重な体験であった。
バービカン・エステート
設計:チェンバリン、パウエル&ボン
竣工:1976年(バービカン・センター:1982年)
参考文献
結びに代えて
ここで紹介した建築に共通点を見出す必要はないかもしれないが、共通して感じたことをあえて挙げるとすれば「人」を中心に置く姿勢とでもいえるだろうか。ロイズやヒースローはスケールの大きさに圧倒されつつも、ディテールを通じて都市や利用者への配慮を示しているように思ったし、バービカンはブルータリズムの表現的な側面だけではなく、緑や水辺、文化活動と政策を重ね合わせた計画を作り上げることで、人の居場所が生まれていた。いずれも「人と建築、人と街の関係」を探り続けた「かたち」の表れを感じることができた。