耕して天に至る -遊子水荷浦の段畑

愛媛、宇和島の少し先にある遊子水荷浦の段畑を訪れた。
リアス式海岸の急峻な斜面地に築かれた段畑。60段、高さ80mの最上部まで続くコンターライン。植えられているのは主に馬鈴薯で、石と緑のコントラストが鮮やか。

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ジャガイモの葉が茂るこの時期が色鮮やか

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玉ねぎも植えられていた。石垣は縄や、空き缶をセメントで固めるなどの方法で縁取られている。

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斜面の中腹に建つ西海寺の薬師堂。海には養殖のいかだが浮かんでいる。

少し資料を読んでみると、段畑が盛んになったのは天保年間(1831-1845)で、主な作物としてサツマイモが定着していたようだ。しかし明治10年代末頃からイワシ漁が不漁になり、次第に農業へ依存、明治から大正にかけて盛んになった養蚕景気によって、桑に必要な良い畑をつくるために石垣化が始まったとされている。その後、時代を経て焼酎メーカーからのサツマイモ需要により、石垣化を請負工事で行うようになり、昭和30年代には水荷浦の石垣が完成したようである。


参考資料:「宇和島市遊子水荷浦地区景観計画」(宇和島市、2007)pp.2-29~2-35