第0回 ローカルアーキテクトミーティング

4月。Mさんにお声掛けいただき、第0回 ローカルアーキテクトミーティングへ。愛媛県内の若手の設計者で意見を交換する会である。

場所は、この日がオープンだというAkira Yamaguchi Studio。

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三津の商店街にあるのだが、山口さんはこの場を作る過程で三津の人たちとも顔なじみになり、地域にすっかり馴染んでいるようだった。

 

午前中は、私のガイドで三津の建築や面白い場所を案内。自分の仕事を含め、古建築を利用した飲食店や物販店の新規開業が増えていることにあらためて気付かされる。

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4者が出店する「みつのほ」(4/26開業)がプレオープンしていた

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改修工事中の現場も見せていただいた


午後は6人で建築設計事務所の仕事について――例えば同業他社の連携や、設計以外の仕事への関与など、いろいろと話し合った。
話しながらあらためて思ったのは、私は建築や場づくりといった自身の仕事を通じて、人や街にポジティブな変化が起こることに寄与したいということ。そのための研鑽や議論は惜しまないでいこう。

営農型ソーラーシェアリング施設 完成披露式

仕事でお手伝いをしたソーラーシェアリング施設の完成披露式へ。

メガソーラーも様々なところで目にするようになった。メガソーラーには、広い土地にずらりと並べられた様子からも新たな景観問題となっている側面があると認識しており、さらには住民とのトラブルなども見聞きしていたので、初めにこの話を聞いた時には、慎重に進める必要があると思っていた。

しかしこのソーラーシェアリング施設は、太陽光発電のパネルの屋根の下でシキミを育てる「営農型」の発電施設として整備されたもので、農作物が育てられるよう太陽光パネルも高く持ち上げ、日光が届くようにパネルは適宜抜かれている。事業者も、地域とともに運営を行う形を模索し続けているようだ。このソーラーシェアリングも農地法の枠組みをうまく利用した形ともいえるかもしれない。

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完成して訪れると、地域の方々が集えるような場所も設えるなどの配慮もあって、地域住民の方々からも喜びの声を聞くことができた。

放牧地といえば聞こえはよいが荒れ果てた山を見ていたので、その山がこのように整備された様子を見ると、関係者の誰もがポジティブな印象を抱いたように思う。実際、昨年の豪雨災害でこの山も崩れ道が寸断されてしまったが、それを元に戻すだけでも意義はある。

このような施設は実際に稼働してからが大事であることはいうまでもないが、その様子を陰ながら見守っていたいと思う。

今治「3.11以降の私(たち)」とイマバリカラーショー2019

3月。今治を訪れた。

 

「3.11以降の私(たち)」

今治ホホホ座にて、「3.11以降の私(たち)」観劇。

入場料を支払う代わりにそれぞれが野菜を持ち寄って入場するというスタイル。

今治ホホホ座の中に設営されたテントを舞台に、250km圏内による『地震の話』と『暴想』を上演。その後、3グループに分かれ、演劇の感想をシェアし、震災のことなどを話し合う。みんなが持ち寄った野菜は炊き出しとしてみんなに振る舞われた。

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250km圏内の黒田真史さん。みんなが持ち寄った野菜

炊き出しを食べながら、震災後に仕事で東北を訪れていた青砥穂高さんの話を聞いた。

 

あの地震が起こった時、私は仙台にいた。そして松山に戻ってから少しずつ、東北で起こり、体験してきたいろいろなことを忘れてきているように思う。
毎年3月になるとその時のことを思い出すが、演劇というある種の詩的な表現を目の当たりにし、さらにそこで出会った知らない人と震災について話してみることは貴重な機会になった。
震災の直接的な被害を受けていない愛媛でも、その人の意識や生き方に変化を与え、ある意味では被害者といえる人たちがいる。また、東北ではなく、離れた愛媛だからこそ話せることもある。

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IMABARI Color Show 2019

今治ホホホ座を後にして今治市公会堂へ。今治タオルの品質を支える染色技術を展示した「イマバリカラーショー2019」を訪れる。
公会堂の1006席(うち母子鑑賞室4席)の客席を利用した、1000色の布を用いたインスタレーションを見学。デザインはエマニュエル・ムホー。

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ステージから客席を見るという逆転したスタイルがおもしろい。公会堂が1000席であることからの着想だろうか。

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今治市公会堂にはたまたまホホホ座で一緒になった友人たちと訪れたのだが、彼によると、今治タオルの染色技術には高いものがあるが、ブランディングの過程でそぎ落とされたという。確かに品質を訴求する上で「白」は強いよなあ、とは思うものの、インスタレーションにより色の美しさ、そして丹下建築の良さを再認識する機会となった。

スペイン旅行記④ ガウディ建築巡礼とカタルーニャ音楽堂 -バルセロナ(2)

前回までの記事はこちら。

スペイン旅行記① 準備編

スペイン旅行記② アルハンブラ宮殿 -グラナダ

スペイン旅行記③ 飛ばない、飛行機 -バルセロナ(1)

 

バルセロナには夜に到着したので、食事をしてすぐ就寝。翌日はバルセロナの建築を巡る一日だった。この一日で訪れた建築やバルセロナの都市についてまとめておこうと思う。

 

バルセロナ・グリッドパターン

バルセロナは都市計画においても他の大都市には無い魅力があるように思う。19世紀に行われた都市計画は現在にも引き継がれているが、学生の頃に目にした、グリッドパターンで区画された空撮のインパクトが大きく、その都市のありようについては実際に確認してみたかった。


このグリッドパターンに至る経緯について簡単におさらいしておくと、バルセロナは地中海の植民地を起源とし、囲壁に囲まれた市街地から始まっている。そして都市の拡張に伴って壁を拡張しながら街区を広げているが、19世紀に入り衛生問題等の都市問題が顕在化したため、囲壁を壊して近代都市を建設することになった。その際に計画を行うこととなったのが、中央政府からの任にあたっていた土木技師セルダである(1859)。

 

セルダは計画にあたり、パリのようなドラマティックな空間を志向する計画では工場労働者であふれかえっている都市問題を解決できないと考え、まず測量による精緻な地図を作製した上で、資本家、労働者、商人など様々な人が混じりあって同じ街区に住む市街地を思い描いたという。区画を形成するグリッドは113.3m角で、20mの道路を挟んで碁盤の目のように整然と並んでいる。

 

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画像はGoogleマップより

画像右下の入り組んだエリアがゴシック地区と呼ばれる旧市街で、かつて囲壁に囲まれていたエリア。グリッドパターンのエリアとは対照的。

 

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「グリッド」の区画の内側

グリッドに分割された街区はどのようになっているのかというと、グリッドの外周に建物が立ち並び、その内側に共有の中庭(パティオ)を確保しているようだった。建物の皮で中庭のあんこを包むような構造。

ただ、実際には中庭の部分を低層の建物が占めてしまっている例が多数見られた。これに対して、1980年代以降、パティオを再生させる取り組みが行われているようだ*1

 

モデルニスモ建築

アントニ・ガウディが活躍したのはこの都市計画以降で、19世紀末から20世紀初頭にかけて建築を残している。この時代のバルセロナでは、モデルニスモという19世紀末にはじまった装飾的表現にあふれた芸術運動が起こっていて、ガウディの有機的な建築もこの様式として位置付けられる。ガウディだけではなく、モンタネールやカダファルクといった建築家もまた、モデルニスモとして位置付けられる有機的な建築物を残している。

 

サグラダ・ファミリア

アントニ・ガウディによるサグラダ・ファミリアバルセロナの中心部の「グリッド」の1区画を占めている。

サグラダ・ファミリアを訪れると外観にまず圧倒された。そのフォルムもさることながら、外部を埋め尽くす装飾からも異様な雰囲気が漂っている。

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現地で借りられるオーディオガイドがその装飾のひとつひとつを詳細に説明してくれたのだが、要するにサグラダ・ファミリアは聖書を建築化したものだということだ。宗教画に聖書の内容が描かれるのと同じように、建築を埋め尽くす装飾の一つ一つにも背景には聖書がある。

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ただ、サグラダ・ファミリアの造型の特徴は、彫刻的なデザインのみならず、自然から導かれた美学や構造的な合理性にもある*2。ガウディの逆さ吊り構造模型は有名だが、サグラダ・ファミリアは自然への眼差しや構造上の合理性の上に成立している建築であり、今日にも通じる思想を持つ建築であると感じられた。

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生誕の塔にある螺旋階段

生誕のファサードのタワーにはエレベーターで50mほど上がり、螺旋階段をぐるぐると降りた。塔からはバルセロナの街を眺めることができた。

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ジャン・ヌーヴェルによるトーレ・アグバールが見える

 

地下の礼拝堂にはガウディが眠っている。また、ガウディやサグラダ・ファミリアに関する様々な内容を展示している。3Dプリンタなどが設置された作業場の様子もガラス越しに見学することができる。

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地下の作業場

 

グエル公園 [1914]

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バルセロナの中心部からタクシーで約20分。ガウディによるサグラダ・ファミリアと並び観光客が多く訪れるグエル公園バルセロナの街を見渡せる丘に築かれている。

実業家グエル氏による分譲住宅で、広場や道路のインフラとともに1900年から1914年の間に建造されたそうだが、買い手はつかなかったそうだ。ここにもサグラダ・ファミリアで見られたようなガウディの幾何学的な構造体を目にすることができたが、合理性というだけでは説明しがたい様々な装飾も点在して賑やかな印象を受けた。

 

 

カサ・ミラ [1910]

カサ・ミラの内部は博物館のようになっており、ひとり25ユーロを払って入場。

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中央を吹抜けとした集合住宅であることが分かる。1階から屋上に上がり、そこから降りて行くのだがこの屋上がすばらしかった。

 

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ガウディ自ら、サグラダ・ファミリアへの視点場となるようなアーチを作り演出してるのが面白い

屋上から降りると、ここもガウディの仕事を紹介する博物館のようなフロア。

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カサ・ミラの模型なども展示されている

このフロアは屋上を支える屋根裏で、薄く繊細なレンガでできたアーチ状の構造が特徴的だった。バルセロナの位置するカタルーニャ地方に伝えられてきたカタルーニャ・ヴォールト(カタラン・ヴォールト)という伝統的な構法であるらしい。

 

スイーツアベニュー [2009]

 

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余談だが、今回バルセロナで泊まったのはカサ・ミラのはす向かいに位置するスイーツアベニューというリノベーションされた(というかオフィスからのコンバージョンだそうだが)アパートメント・ホテルで、ファサードの改修設計を伊東豊雄さんが行っている。カサ・ミラと呼応するように波打ったファサードが特徴的で、ホテルのエントランスで伊東さんについても紹介されていた。

 

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思い出すと伊東さんが自らの建築について語る際にガウディについて触れることがあったが、ガウディの建築群を訪れることで、伊東さんの建築についても理解が深められたように思う。ガウディの有機的な形態には自然界の形態を構築するシステム的な思想による裏付けがあり、それは現代の建築を形作る思想に通底するように思われるからだ。



カタルーニャ音楽堂 [1908]

夜には、トーマス・ヘンゲルブロックによるモーツァルト・レクイエムの演奏を聴きにカタルーニャ音楽堂を訪れた。カタルーニャ音楽堂は普通に見学することもできるのだが、このような建築は使われているさまを観てみたかったし、著名な指揮者が来るとなるとなおさらなので、日本から事前に予約していった。 

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ご覧のとおり大盛況。ステージは狭いのだが、華やかな装飾に彩られた荘厳な空間が、指揮者、演奏者、観客と一体的になったさまがすばらしかった。

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ホワイエにあるカフェEl Foyer

建築は、ガウディの師でもあるモンタネール(リュイス・ドメネク・イ・モンタネール)によるもの。ガウディだけでない、モデルニスモ建築としての表現の深さを痛感する。

 

 

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演奏を聴いた後、IRATIというバルにてピンチョスをいろいろつまみながら飲む。昨日の予定変更を取り戻すだけでなく、いろいろ学び多い一日だった。

 

スペイン旅行記⑤ ミシュラン3つ星「ABaC」でランチ -バルセロナ(3) に続く。

*1:参考

https://www.machinami.or.jp/contents/publication/pdf/machinami/machinami055_7.pdf

*2:ただし本当にどこまで構造上合理的なのかは分からない。

耕して天に至る -遊子水荷浦の段畑

愛媛、宇和島の少し先にある遊子水荷浦の段畑を訪れた。
リアス式海岸の急峻な斜面地に築かれた段畑。60段、高さ80mの最上部まで続くコンターライン。植えられているのは主に馬鈴薯で、石と緑のコントラストが鮮やか。

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ジャガイモの葉が茂るこの時期が色鮮やか

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玉ねぎも植えられていた。石垣は縄や、空き缶をセメントで固めるなどの方法で縁取られている。

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斜面の中腹に建つ西海寺の薬師堂。海には養殖のいかだが浮かんでいる。

少し資料を読んでみると、段畑が盛んになったのは天保年間(1831-1845)で、主な作物としてサツマイモが定着していたようだ。しかし明治10年代末頃からイワシ漁が不漁になり、次第に農業へ依存、明治から大正にかけて盛んになった養蚕景気によって、桑に必要な良い畑をつくるために石垣化が始まったとされている。その後、時代を経て焼酎メーカーからのサツマイモ需要により、石垣化を請負工事で行うようになり、昭和30年代には水荷浦の石垣が完成したようである。


参考資料:「宇和島市遊子水荷浦地区景観計画」(宇和島市、2007)pp.2-29~2-35

スペイン旅行記③ 飛ばない、飛行機 -バルセロナ(1)

前回までの記事はこちら。

スペイン旅行記① 準備編

スペイン旅行記② アルハンブラ宮殿 -グラナダ

 

朝、グラナダのホテルを出発して空港へ。二晩お世話になったホテルをチェックアウトし、グラナダからマドリードを経由してバルセロナに向かう…予定だったのだが、空港で搭乗待ちをしていると、登場15分前に突然フライトキャンセルの表示が。

よく晴れているものの、どうやら天候の理由でフライトできないとのこと。旅の序盤からスケジュールが変更に。きっつー。

スペイン語で説明をしていたが分からないので後で聞くと、バスで近くのマラガまで向かい、飛行機に乗り換えるというので待つことに。しかし待てども来ないので30分後にもう一度聞いてみると、バスで直接マドリードに向かうことになったという。乗り換えはマドリードで聞いてくれとのこと。マドリードまで何時間かかるんだろう。今日中に乗り換えてバルセロナに着くのかな…。

ということでバスを待つこと1時間ちょっと。11時半にバスはマドリードに向けて出発。
予定変更は厳しいが、バスの車窓を眺めるのは好きなので楽しみでもあった。バスは道中、オリーブの木々が並ぶ緩やかな丘を延々と進んでゆく。しかし進んでも進んでもひたすらオリーブ畑だったので飽きた。

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グラナダマドリードの道中


13:30頃から30分休憩し、14時に再び出発。

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途中立ち寄ったドライブイン


マドリードに近づくと、途中、車窓から風車の並ぶ風景が見えた(後で調べると有名なラ・マンチャの風車群だった)。マドリード バラハス空港には16:30着。結果5時間のバス旅だった。この時間にはバルセロナグエル公園にいる予定だったのだがやむを得ない。

空港で乗り換えについて相談して18:50発の便に振り替えてもらい、20:00にバルセロナ着。ホテルにチェックインして、近くのレストランで食事。セルベセリア カタラナという人気店。とにかくホッとして就寝。

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食事はホテル近くのCerveceria Catalana(セルベセリア・カタラナ)で


後日談だが、このフライトキャンセルに関連して予定が変更になったため、いくらかの損害に対しあらかじめ掛けていた海外旅行保険の保険金を請求した。しかし、フライトキャンセルとなっても代わりの便(=バス)が6時間以内に手配された場合は、フライトについては保険の対象外となるそう。ただし、同日に訪れる予定だった、手配済みのグエル公園のチケットが無駄になってしまったので、この分を海外旅行保険で補償してもらうことになった。たかだか2000円くらいの話である。

 

スペイン旅行記④ ガウディ建築巡礼とカタルーニャ音楽堂 -バルセロナ(2) に続く。

スペイン旅行記② アルハンブラ宮殿 -グラナダ

前回の記事はこちら。

スペイン旅行記① 準備編

 

 

スペインに向けて出発。

松山を出発し、羽田を経由して昼12時過ぎに成田を発って13時間。スペインにはイベリア航空による羽田⇔マドリードの直行便があり、直行便で19時前に飛行機は定刻通りマドリード バラハス空港へ到着。まずこの空港がすごかった。

 

マドリード=バラハス空港(ターミナル4)[2005]

マドリード=バラハス空港は到着するなりダイナミックな空間に圧倒される。この空港の設計はリチャード・ロジャース。天井の曲面が連続し、端々まで波が連なる空間がすごい。その屋根を支える鋼材も、塗装色が赤からオレンジ、グリーン、ブルーとグラデーションしており、自分の居場所も認識しやすい。サインカラーもこの色に合わせられている。機能的で、美しい。天井には、吊下げて天井を照らす間接照明が用いられている。

鋼材・曲面天井・照明を反復したシステマティックな構成により空間美が生み出されている。旅の高揚感マシマシ。

 

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乗り換えもスムーズで、グラナダには夜22:30に着陸。空港からタクシーに乗り、中心市街地まで20分。ホテルに到着して就寝。

 

翌日はグラナダの街を歩きまわり、アルハンブラ宮殿を訪れ、夜にフラメンコを見た。

 

グラナダの街

グラナダは約25万人の都市で、中心市街地は歩き回れる親しみやすい規模。

初めに訪れたのは、街の中心部あるグラナダ大聖堂。16~18世紀にかけて建てられた、スペインで最初のルネサンス様式の大聖堂とのこと。

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グラナダ市街地

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グラナダ大聖堂

アルハンブラ宮殿とともに世界遺産に登録されたアルバイシンという地区は1000年以上のイスラム居住区で、イスラム時代の街がそのまま残っており、入り組んだ細い道が坂を這うように作られている。コカコーラの看板も景観への調和に配慮した青いもの。この地区の高台にあるサンニコラス展望台からのアルハンブラ宮殿の眺めも素晴らしく、街の中でアルハンブラ宮殿を見るための工夫がなされているように思われた。展望台のある広場も簡素なものだが、柵が無く、腰かけの代わりになる縁石がぐるりと囲んでいる。

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アルバイシン地区(アルハンブラ宮殿より)

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サンニコラス展望台

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アルバイシン地区にあるコカコーラのサイン

 


アルハンブラ宮殿

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アルハンブラ宮殿には事前にチケットを予約していたので、15時前に到着。
アルハンブラ宮殿は広く、王宮、カルロス5世宮殿、アルカサバ(城塞)、ヘネラリフェ(離宮)の4つから構成。彫刻の細やかさがすごかった。廻廊や天井の作り方も面白い。

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洞窟住居(クエバ)でのフラメンコ

フラメンコで訪れたロス・タラントスは丘に横穴を掘ったかつての洞窟住居(クエバ)を利用している。フラメンコはこのアンダルシア発祥だが、ロマ族とアンダルシアの文化との融合とされるようだ。この洞窟住居のあるサクロモンテにはロマが多く住んでいたのだそう。

エバの中、近距離で刻まれるリズムと挙動を全身で感じながら、そのリズミカルな拍子と動きの奥深くに刻まれた、ロマ迫害の歴史を思った。

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スペイン旅行記③ 飛ばない、飛行機 -バルセロナ(1)  に続く。